自然に、人の知恵と手間を加える「うに牧場」。

北三陸ファクトリー

北三陸、洋野町種市の沿岸は岩盤でできている。ここに干潮時には、93本の、水深60cm、幅4m、長さ100~120mの溝が現れる。なにも知らずにこの風景に出会えば、海に沈んだ古代遺跡と思うかもしれない。これが、自然にまかせながらも人の知恵や手間を加えて、うにを育てる「うに牧場」だ。

地面が隆起して形成される海岸段丘が特長の北三陸の沿岸は、そのまま外洋の北西太平洋に直面している。沿岸まで迫る森からの豊富なミネラルが流れ込む豊かな海ではあるが、湾の多い南三陸とは異なり、養殖漁業にはまったく不利な環境だった。それを逆手にとって、先人達の知恵によって造られたのが、うに牧場だ。1970年後半から約6年かけて、水陸両用のブルドーザーを投入して造成した。

洋野町種市の沿岸は、キタムラサキウニの産地であり、上品な旨みが特徴。こだわりの強い鮨店などでは、ネタの流れを邪魔しないキタムラサキウニをあえて選ぶところも多いと聞く。しかし、自然のままの海で育ったキタムラサキウニは、雑食ゆえ、品質が安定していなかった。そこでまず、人の手で稚うにをふ化させ、1cm程度まで水槽で育てる。それを沖合に放流し、いったん豊かな海に育ててもらう。3年後、大きくなったうにを漁師が潜水して確保し、このうに牧場に移植。うに牧場には、干潮時でも新鮮な海水が常に流れ込むようになっていて、うにの餌となる昆布などの海藻類が繁茂する。ここで1年を過ごすと、旨味が増し身入りがよくなる。これが、先人達の知恵だ。

北三陸のキタムラサキウニは、一部の飲食のプロたちから高く評価されるようになった。またキタムラサキウニは、その身の柔らかさから海産物のなかでも最も加工が難しいと言われるが、水揚げ量の増加に伴い、地元の女性たちの加工技術も高まっていった。しかし、先人達の知恵、培われた加工技術があっても、多くの場合、岩手産のうにというひと括りにあい、悔しい思いがあったようだ。

2010年、下苧坪之典(したうつぼ・ゆきのり)は、海藻の加工・卸という家業を継ぎ、洋野町種市に北三陸ファクトリーの前身「ひろの屋」という水産加工会社を立ち上げた。水産加工とは距離をおいた業界にいた彼は、キタムラサキウニに代表される良質の海産物があっても、いままでのやり方では限界があると感じていた。いいものをただつくっていれば売れる、そんな時代は終わっていた。

これまで「増殖溝」と呼ばれていた場所を、「うに牧場」と名付けたのは、下苧坪だ。幼い頃から慣れ親しんでいたこの光景を、ある時直感的に、これは「うにの牧場だ」と思ったという。彼は、いままでの水産加工業の売り方にこだわらず、さまざまな方法でさまざまなルートに売り込んだ。この地で生産されるうには、岩手産のうにではなく、「うに牧場」のキタムラサキウニとして認知されるようになった。貴重な加工技術をもつ地元の女性達の丁寧な手技にも助けられ、うにの加工製品も高い品質を保っている。製品は、食にこだわりの強い顧客が多い百貨店の棚に並んでも、他に引けを取らない。 いま、北三陸ファクトリーの「洋野うに牧場の四年うに」は、世界中の美食家が集まる香港、そして北西太平洋をはさんだシアトルへも運ばれている。戦前、下苧坪の曽祖父は、この北三陸から、鞄に鮑をつめて、香港に売り込みに行くという豪胆な人だった。彼は、その曽祖父の背中を追いかけているようだ。

下苧坪之典
北三陸ファクトリー 代表取締役

洋野町種市に生まれ、育つ。大学卒業後、いったん北三陸からも水産業から離れ、カーディーラーや生命保険の営業職を経験。家業を引き継ぐかたちで、北三陸ファクトリーの前身となる「ひろの屋」を立ち上げる。創業10ヵ月で被災したが、さまざまな支援を積極的に活用。曖昧模糊としていた北三陸というエリアの発信力を高め、北三陸の食材を世界へ届けることを目指す。

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