カネシメ水産
北三陸、普代村、太田名部漁港、午前8時。早朝から水揚げされていた水産物の競りが始まる。30代半ばの金子太一は、この市場でいちばん若い仲買人であり、父親どころか、祖父くらい年の離れたベテラン仲買人たちと、肩をぶつけ合いながら、海産物を競り合う。自分は生意気なので、時々小競り合いになることもある、と笑う。
金子太一が父から受け継いだカネシメ水産は、七割が鮮魚販売を占めるが、水産加工として、新巻鮭といくらを製造している。
新巻鮭には、9月末から10月の上旬くらいまでに揚がる若い雄鮭を使う。まぶしいくらいの銀色のカラダをもつ鮭は、銀毛(ぎんけ)と呼ばれる。この銀毛の中でも顔が小さく、上顎が短く、下顎がでているものが、身も太っているし、身も赤く、鮭にはあまりのらないといわれる脂がのっているという。エラと内臓をとる。内臓の骨には血管が通っているので、丁寧に抜く。これを一度冷凍して、寒風が吹き始める季節を待つ。12月にもなり、外気が冷たくなると、塩をやって10日間ばかり乾燥して完成となる。
カネシメ水産の新巻鮭は、歳暮にもらって迷惑な、ただ塩辛い新巻鮭とは異なり、ほどよい塩加減だ。父の代からこの製法でつくってきたが、その製法を見ていた金子の妻が、これは生で食べられるのではないか、と言った。生で新巻鮭を食べるという発想は全くなかったが、なるほど、食べてみるとおいしい。いまでは、鮨のネタとして生を使う店もあるという。
そしていくら。カネシメ水産のいくらは塩いくらだ。醤油いくらは、醤油の味しかしない。
しかも醤油いくらは醤油を吸うので、実は目方も増える。塩いくらは脱水されるので、減る。それでも塩いくらが、本来のいくらのおいしさだ、というのが、父から受け継いだ金子のこだわりだ。
いくらとなる卵を抱える雌鮭が揚がってくるのは、11月の中頃から。金子がいくらのために競り落とすのは、産卵のため川にあがる準備が整いはじめる、ウスブナと言われるカラダが迷彩になりかけている雌の鮭。卵の歩留まりもよく、大粒になる。抱えている卵は、まだ筋子といわれる、腹の中でいくらがまとまっている状態のものがいい。いくらには、等級がある。上から3特、2特、特とあるが、カネシメ水産のいくらは、常に最上の3特。舌の上にのせ、上顎につけると、スッとつぶれる。産卵の準備が整ったといっても、川にあがる産卵寸前の濃い模様のブナになると、バラコといわれる筋子状態がこわれたものになり、卵の皮が固くなってしまう。口の中で逃げ、歯でプチッとつぶれるいくらは、実はランクが低い。後から添加物で卵の皮を柔らかく加工する製造方法もあるが、金子は添加物を一切使わない。自分の家族に食べさせることを考えれば、やはり安心・安全な無添加になる。
市場で仕入れた鮭を、かつては小学校だった跡地につくった加工工場に運ぶ。鮮度を保つため、午前中には、腹を割き、筋子状態の卵を取り出す。それをほどき、ここに湧く良質の井戸水で血を洗う。さらにたこ糸でつくられた網に転がし、卵を一個一個にほどく。これをそれ以上は塩が溶けない飽和塩水の入った攪拌機に入れて泳がせ、まんべんなく塩を入れていく。時々、手を入れる。指と指の間をすり抜ける卵の当たり方で、塩の入り方がわかるという。10分ほど攪拌し、塩水を切り、簡易包装して一晩寝かす。塩は、攪拌からあげた時点では表面のみ塩味だが、一晩かけて塩を浸透させ、ようやくちょうどいい塩加減のいくらになるのだという。
自分は営業をしない、と金子は言う。買いたいという人に会ってみて、ちゃんと大事に扱って使ってくれる人にだけ売る。だからまた、いいものを高値でも競り落とせて、いいものがつくれる、と胸を張る。
金子太一
カネシメ水産 代表取締役
カネシメ水産、2代目。高校卒業後、宮城県の水産会社で3年半研修し、普代村に戻る。 魚をよりおいしくする、神経締めの達人でもある。水産加工についても父から受け継いだ技術をそのままにするのではなく、絶えず試行錯誤を繰り返している。彼がつくる塩いくらや新巻鮭は、高級寿司店や有名シェフから高い評価を受けている。