酪農家が牛舎で飲む、あの牛乳の味を。

おおのミルク工房

誰もが、牧場といえばこんなイメージ、というものをそのまま再現している風景の一角におおのミルク工房がある。この牧場もまた、おおのキャンパスという大きな施設の一部であり、道の駅、天文台、パークゴルフ場、天文台、地域資源活用工房などがあり、洋野町の町興しのシンボル的な場所となっている。

おおのミルク工房の施設は、かつては農協によってつくられた乳製品加工施設であり、このエリアの酪農家が搾乳した生乳を使い、牛乳やヨーグルトなどの乳製品に加工し出荷していた。しかし、販売量が達成できず、2度も休止に追い込まれた。もともと、洋野町は酪農の里。多くの酪農家が、このままでは自分たちの生乳が、自分たちの知らないところにある大規模な工場で、他の生乳と一緒くたにされて加工されてしまうことに不安をもった。そこで、地元の酪農家を中心に、酪農関係者、地元の商店主たちが出資し、法人を設立。もともとあった、農協の既存の工房施設を借りて、地元の顔の見える酪農家が生産する生乳だけを加工する、おおのミルク工房として牛乳や乳製品の開発、製造、販売に取り組み始めた。

このおおのミルク工房設立時から、洋野町ならではの牛乳をはじめとする価値ある乳製品をつくりだすため、奔走しつづけているのが、おおのミルク工房、専務取締役の浅水巧美だ。浅水はまず、地元ならではの牛乳のおいしさとはなにか、を考えた。酪農家をはじめ、さまざまな地元の人に聞き回った結果、たどり着いたのが「冬に酪農家が牛舎の中にストーブを置いて、搾った生乳を鍋にいれて温めて飲む、あの味」。どうすれば、あの牛乳の味になるのか。誰も温度を測っていない、時間も測っていない。ただ、絶対に沸騰はさせない、ということがわかった。鍋で沸かす、という方法は、タンクの中に入れて温度をあげる保持式殺菌で再現した。タンクに生乳をいれて、温度と時間の違う組み合わせを何通りかつくった。最終的には3つの候補にしぼり、洋野町と洋野町に隣接している市や村の、幼稚園の園児から、上は老人クラブの方々まで、六百数十名の方にテイスティングしてもらい、圧倒的に支持をもらった味が、いまの「ゆめ牛乳」だ。酪農家からも、家で飲んでいる味に近いとお墨付きももらった、85度20分の保持式殺菌牛乳。100度以上の超高温で殺菌していない、牛乳本来のおいしさがある。

そして、その牛乳からつくる、ヨーグルトもまた格段においしくなる。数種の乳酸菌を配合し、低い温度30度前後で24時間ほどかけて発酵させる。季節や生乳の状態によって、機械的な数値だけにたよらず、人の感覚をつかって、デリケートに発酵時間を変える。牛乳と乳酸菌だけでつくる、もっちりとしたヨーグルトが、おおのミルク工房のヨーグルトとなる。

おおのミルク工房は、広大な牧場の一角にあり、この牧場の牛から搾る牛乳を使っていると思われるが、実はそうではない。ここで放牧されている牛は母牛になる前の雌の牛と、雄の牛で、雌牛は妊娠すると地元にあるそれぞれの酪農家の牧場に戻っていく。子を生むと、搾乳が可能になる。それぞれの酪農家は、それぞれの考え方で、牛を育て、搾乳する。酪農家の数だけ、酪農の考え方があると言われるほどだ。酪農家たちの会合では、酪農についての考え方の違いから、言い争いになることもあるという。いい生乳をつくりたい、という同じゴールがあるだけ。それぞれの酪農家の想いのこもった生乳を預かり、いかにおいしく価値ある乳製品として、確実に世の中に届けるか。そのことによって、この地の酪農が元気になる、未来につながる産業になっていく。それが浅水の使命だという。

浅水巧美

おおのミルク工房 専務取締役 農協の酪農課から、かつては農協の乳製品加工をしていた施設を借り受けた「おおのミルク工房」の設立に飛び込む。農協に在籍中に出会った地元酪農家たちの応援になればと、それまでは単に加工できればいい、という工場を、価値のある乳製品を産み出す工房に変えていくために、東奔西走。代表製品となったゆめ牛乳は、いまや岩手県内各地で愛される牛乳であり、首都圏にも出荷されている。

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